前回の第13部では企業の決算についてその要点を説明した。期末の決算整理プロセスに有価証券の「評価損」や商品在庫の「棚卸減耗」といった普段は聞き慣れない言葉が出てきて、あなたも少し違和感を覚えたかもしれない。これらは、「時価会計」という会計概念にもとづくものであり、伝統的な「取得原価主義会計」とは異なる考え方をベースにしている。
約20年前、私がまだ現役ビジネスパーソンとしてコンサルティング業務に関わっていた1999年から翌2000年当時、「時価会計」(「時価主義会計」)の導入を巡って会計学者や産業界の識者の間でその是非に関する議論が巻き起こったことがあった。「時価会計は、経済を停滞させる」といった産業界全般の消極論はまだしも、一部学者の間には「これで日本もおしまいだ」といった極論まで飛び出す始末で、世の中、こぞってネガティブな論調が支配的だったように記憶している。事実、コンサルティングに従事していた私たちもこの問題を巡ってクライアントにどう向きあったらよいのか、大いに困惑したものだ。それから20年、確かに経済活動が停滞した時期はあったものの、日本が「おしまいになる」ことはなかった。実際、「売買目的の有価証券評価益(損)」や「棚卸減耗」は、ごく自然に決算処理されているではないか。今から思うと、あの「騒ぎ」は一体何だったのかといささか不思議な気持ちになる。
総じて、わが国では金融庁長官の諮問機関である「企業会計審議会」(学者や民間人で構成され、会計実務者が採用することが好ましい基本ルールを提唱する)が何らかの「意見書」を発表すると、決まってひと悶着ある。一部の学者が異を唱えるとそれに便乗して出版界を含むマスコミが騒ぐから、実務家はどう対処したらよいのか困惑する、というのがお定まりの図式になっている。でも「大山鳴動して鼠一匹」で、暫くすると何事もなかったように静かになってしまう。だから、実務家だけがいろいろと振り回された挙句にわけも分からないままに審議会の「基本ルール」を遵守することになる。なぜ、こうした展開になるのか? 私ごときには分かりようもないが、学者もマスコミも不勉強かつ無責任であることに一因があるように思えてならない。実務家としては黙って事態の推移を見守るしかないのだから、学者をはじめとする専門家諸氏には皮相的な「好き嫌い」論を離れてもっと「実務」の観点から問題の本質・核心に迫ってもらいたい、と考えている。
今回は、実務家の立場に立って「時価会計」に光を当ててみることにしよう。